寺院概要
■住 職 川口 春樹
■宗 旨 高野山真言宗(総本山 高野山金剛峯寺)
■本 尊 薬師如来
(ご真言) オン コロコロ センダリ マトウギ ソワカ
■仏 像 弘法大師 不動明王 十二神将 十一面観世音菩薩
歓喜天 日光菩薩 月光菩薩 地蔵菩薩
■開基年 文治年間
■創建者 賢覚大徳
■建 物 本堂 (旧)位牌堂 客殿 庫裏 地蔵堂 天遊庵 収蔵庫
■霊 場 新四国東国八十八ヶ所第四十一番 <十一面観世音菩薩>
横浜市三十三観音第二十七番 <十一面観世音菩薩>
横浜市弘法大師二十一ヶ所第十二番 <弘法大師>
■行 事 盂蘭盆・施餓鬼会(七月十七日)・春秋彼岸会・写経会他
沿革・由来
当寺は元北方村天沼(現在の中区北方小学校)で創建されました。
よって今なお山号を天沼山(あまぬまさん)と称しています。
寺伝によれば、後鳥羽天皇の文治年間(1185年頃、平安末期・平氏の滅ぶ頃)賢覚大徳の開基にして、堂宇は時の領主松野筑前守の造立にかかると云います。
元和年間(1615~1623年、大阪夏の陣の頃)、学誉上人が再興し、享保年間さらに深海法印によって中興いたしました。
当寺が薬師の堂領として徳川三代将軍家光公より、四石九斗余の御朱印御墨附を賜わったのは、慶安2年(1649)10月17日のことです。
明治維新までは、宝生寺の門徒中上通に位し、住僧は紋白袈裟着用の格式を帯び、大神官及び諏訪社の別当を兼ね又阿弥陀堂を進退していました。
院号を威徳院と号す如く、本来本尊は不動明王なるも、明治8年(1875)2月類焼の厄に罹り、その後、火難を免れた薬師如来を本尊に仰ぎ、明治33年(1900)7月18日住職川口了賢により堂宇を天沼諏訪町より現在地に移転し、明治37年(1904)6月に再建されました。
大正12年(1923)の関東大震災にも幸いに被害が軽く、現本堂は昭和11年(1936)3月に住職川口興智代に完成いたしました。
第2次世界大戦中も幸い災禍を免れ、時勢により車輌の乗り入れ等境内整備を進め、さらに現客殿庫裡等は昭和48年末現住川口益生代に再建されました。
当寺本尊の薬師如来は恵心僧都の作で、慶安2年(1649)徳川三代将軍家光公より賜わった仏様であります。十二神将は運慶作といわれています。(武蔵風土記)